春季大攻勢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/23 09:33 UTC 版)
1918年の春季大攻勢におけるドイツ軍の攻撃手法、いわゆる浸透戦術についてジョナサン・ハウスは4つの要素に集約している。 砲撃:ブルフミュラーに代表される砲兵将校たちは砲撃手法を変えた。注意深く調整されており短いが強烈な砲撃により、(敵の撲滅ではなく)敵を混乱させ防御システムを無力化させることを目指した。 突撃隊:攻撃の先鋒を務める突撃大隊は、敵の強固な陣地を攻撃できるよう訓練されていた。 敵防御拠点の迂回:突撃部隊は敵の抵抗の中心を迂回して突進するよう教育されていた。小部隊指揮官は自分の側面を顧みることなく、敵防御のすき間へと前進する権限を有していた。 敵後方地域の崩壊:春季大攻勢の当初、攻撃準備射撃により通信と指揮所を破壊し、浸透する歩兵も同じような施設を破壊しながら前進した。これにより、イギリス兵は士気崩壊を起こし、4日間で38キロも後退させられた。J.F.C.フラーによれば、イギリス軍は後方部隊から先に崩壊して敗走していったように見えたという。 いうなれば、戦車のない電撃戦である。春季大攻勢の最初において、これまでの西部戦線の戦いとは異なりドイツ軍は何十キロも前進した。しかし、最初の成功を拡張する機動力がなかったうえ、作戦次元の目標を明確にしていなかったため、ただ突出部をつくるだけで作戦次元ひいては戦略次元の勝利につなげることができなかった。
※この「春季大攻勢」の解説は、「浸透戦術」の解説の一部です。
「春季大攻勢」を含む「浸透戦術」の記事については、「浸透戦術」の概要を参照ください。
- 春季大攻勢のページへのリンク