明治以降の藩の記録・回想など
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「福岡藩」の記事における「明治以降の藩の記録・回想など」の解説
明治17年(1884年)、長知の子である黒田長成は新政府の華族令により侯爵を叙爵し、華族に列した。その息子の長礼は閑院宮茂子女王の降嫁を迎えた。 明治時代中頃から始まった福岡士族・江島茂逸による福岡藩の記録編纂にあたり、江島は高杉晋作について、故郷長州でもまだまとまった伝記が出されていなかった明治26年(1893年)に『高杉晋作伝入筑始末』を著し、東京の出版社から世に出して晋作伝の第一号となっている。明治時代末期から大正時代に近代化の達成が意識されると、藩が明治維新にいかに貢献したかの観点が重視された。編纂事業は江島から長野誠に引き継がれ、福岡藩は「征長解兵」「五卿送迎」「薩長和解」といった福岡藩の果たした役割を「維新起源」として強調している。 戦前の教育においては勤王志士が賛美され、長溥など藩主は愚昧と喧伝された。
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