明と外交関係を結んだ新興国琉球
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 02:49 UTC 版)
「琉球の朝貢と冊封の歴史」の記事における「明と外交関係を結んだ新興国琉球」の解説
中国では漢以降、周辺諸国の君主が中国の王朝に使者を派遣して皇帝に貢物を献上し、その対価として皇帝は下賜品を与えるいわゆる朝貢関係に加えて、中国皇帝が周辺諸国の長を王侯に封じる冊封が始まった。この関係を中国側から見ると、周辺諸国の君主が中国の徳化を慕って使者が貢物を持って来訪する返礼として、まず周辺諸国の君主に「王」などの称号を与えて支配権を認め、中国文化による徳化の恩恵をもたらすとともに、更に貢物を上回る下賜品を与えて物質的にも中国の度量の広さを示していく。 中国の歴代王朝はそれぞれ周辺諸国との関係樹立が課題となった。14世紀後半、元をモンゴル高原に駆逐し、統一王朝を樹立した明にとっても、周辺諸国との関係の安定化は大きな外交的、政治的課題の一つであった。明を建国した洪武帝は、建国直後から周辺諸国に向けて積極的に朝貢を促す使者を送った。明の周辺諸国に対する関係の取り方には特徴があった。まず民間による貿易を禁じ、貿易は朝貢時に行われるものに限定したのである。また周辺諸国に下賜する冠服を利用して、中国の家族主義的な宗法秩序を国家関係に持ち込んだ。そのような中で5世紀代の倭の五王時代以降、冊封を受けることが無かった日本の取り込みに成功し、新興国である琉球とも外交関係を結ぶことになる。
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