昆明重九起義とは? わかりやすく解説

昆明重九起義

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 14:49 UTC 版)

李根源」の記事における「昆明重九起義」の解説

初めは旧学を学んでいたが、1903年光緒29年)に昆明高等学堂入学した翌年日本軍事留学して東京振武学校入学する1906年光緒32年陸軍士官学校士官候補生として入学した(正式入学1908年光緒34年))。日本では中国同盟会中心的組織者の1人となったまた、雲南日本留学同郷会長となり、雲南革命派雑誌である『雲南雑誌編集にも経理として参加している。1908年光緒34年)には「雲南独立大会」を開催した1909年宣統元年)に帰国し同年9月新設されたばかり雲南陸軍講武堂監督歩兵科教官任命された。翌年5月講武総弁任命される1911年宣統3年8月雲南督練処副参議官に任命された。同年10月10日武昌起義勃発すると、李根源唐継尭革命派軍人たち謀議重ね蔡鍔指導者に擁立して決起することにした。 10月30日蔡鍔李根源唐継尭革命派軍人蜂起し大漢雲南軍政府樹立した重九起義)。李根源は、雲南軍政府軍政部長参議院議長就任している。その後李根源はすでに大理決起していた別の革命派政権説得し雲南軍政府合流させることに成功するなど、省内政治面で大きく貢献した。しかし、梁啓超系で袁世凱支持蔡鍔と、孫文系で反袁の李根源との間では意見対立発生している。そして1912年民国元年8月雲南軍政府地位辞任した

※この「昆明重九起義」の解説は、「李根源」の解説の一部です。
「昆明重九起義」を含む「李根源」の記事については、「李根源」の概要を参照ください。

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