滇軍での昇進とは? わかりやすく解説

滇軍での昇進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/09/08 15:26 UTC 版)

胡若愚 (雲南)」の記事における「滇軍での昇進」の解説

地主家柄で、父は秀才である。胡若愚は、羅平両等小学堂を卒業後、1910年宣統2年)に雲南陸軍講武堂第4期で学ぶ。1911年宣統3年10月昆明重九起義雲南辛亥革命)では、革命派として参加したその後は、唐継尭の下で昇進重ね護国戦争護法戦争にも参戦している。1918年民国7年)、旅長となった1922年民国11年)春、胡若愚は、唐継尭から第2路司令兼前敵副総指揮(すぐに総指揮昇格)に任命され顧品珍倒して唐の復権貢献した。この功績により、胡は滇中鎮守使兼戒厳司令任じられ昆明駐屯した。まもなく滇南鎮守使に異動し蒙自駐屯した。この時、竜雲・張汝驥・選廷も鎮守使に任命され、胡とともに配下の4鎮守使となっている。 1925年民国14年)、唐継尭命令により、胡若愚竜雲とともに広西省進攻した。しかし、李宗仁新広西派反撃にあって敗退したその後、唐が弟の唐継虞らを重用して4鎮守使の権限削減しようとする。さらに国民政府逆らって独自路線をとろうとしたため、胡、竜らは反感抱いた1927年民国16年2月6日、4鎮守使は兵変を起こして兄弟下野追い込む3月8日胡若愚は、雲南省政府省務委員会主席委員として、国民政府への忠誠誓った。胡は国民革命軍第39軍軍長、竜は国民革命軍38軍長それぞれ任命されている。

※この「滇軍での昇進」の解説は、「胡若愚 (雲南)」の解説の一部です。
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