日根荘遺跡指定地一覧とは? わかりやすく解説

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日根荘遺跡指定地一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/21 09:01 UTC 版)

日根荘」の記事における「日根荘遺跡指定地一覧」の解説

物件名地概要主要イメージ火走神社 大木 社殿1622年元和8年)造の一間社春日造滝宮大明神とも呼ばれた祭神火の神軻遇突智命かぐつちのみこと)。『政基公旅引付』では七宝瀧寺との神仏習合の関係が記されている。摂社幸神社本殿重要文化財だんじり祭り継承されている。 火走神社 香積寺大木政基公旅引付』に記述があり、江戸時代絵図には光若寺とも記載される上大木の森林内に基壇石仏石塔などが残る。 蓮華寺 大木政基公旅引付』に記述がある。現在は上大木の集会所として使われている。 毘沙門堂 大木 堂がある一帯五所谷(御所谷)と呼ばれる中大木の山間中腹位置し、『政基公旅引付』では御所谷集会所記載。現在でも講が営まれている。 毘沙門堂 円満寺 大木 現在は上大木の集会所として使われている。 円満寺 長福寺大木 九条政基が入荘中の四年間滞在していた寺院1611年慶長16年)の記録最後に各種資料から長福寺記述消えることから、この頃廃絶したとみられる字名長福寺呼び名伝わっており、2002年平成14年)から翌年にかけて発掘調査が行われ遺跡確認された。現在は埋め戻し保存され水田となっている。 長福寺土丸・雨山城土丸熊取町 土丸山は城ノ山とも呼ばれ南北朝戦国時代にかけて山城築かれ山頂付近曲輪堀切などの遺構が残る。九条政基戦乱避け山城へ籠った記述が『政基公旅引付にみえる日根神社 日根野 日根神社参照日根神社 慈眼院 日根野 慈眼院参照慈眼院 総福寺 日根野日根野村絵図』での禅林寺比定。『九条家文書』に記述がある天正年間(1573〜1585)創建天満宮重要文化財)がある。 総福寺天満宮 野々宮日根野日根野村絵図』での丹生大明神新道牛神しんどうでうしがみ) 日根野日根野村絵図』では牛神として描かれる農作業従事する牛を祀る新道牛神 十二谷池 日根野日根野村絵図』では住持谷池樫井川から井川によって取水八重治池 日根野 日根立荘時には既に存在していた自然の池。 尼津池 日根野 日根立荘時には既に存在していた自然の池で、古くは甘着池と表記入山田の日根野一帯灌漑を担う水源であった井川(ゆかわ) 日根野 樫井川から分水した用水日根神社慈眼院境内流れ十二谷池へと至る。 井川

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