日本輸入まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:02 UTC 版)
2000ギニー馬ディオフォンの初年度産駒の一頭。産まれて間もない頃はかなり小柄だったためあまり期待されず、ニューマーケットのイヤーリングセールでは480ギニーの値しか付かなかった。しかし競走年齢に達する頃には立派な体格に成長し、2歳時にコヴェントリーステークス、モールコームステークスなどを制してイギリス2歳馬チャンピオンとなり、3歳になってクラシック初戦の2000ギニーを制した。これは父ディオフォンとの父子制覇ともなっている。エプソムダービー当日は「ダイオライト・デー」と呼ばれるほどの大本命となったが、3着に敗れている。 24戦6勝の成績を残して4歳をもって競走馬を引退し、その後は同地で種牡馬となったが活躍馬に恵まれず、1935年に日本の宮内省が管理する下総御料牧場に導入された。種牡馬として精彩を欠いていたとはいえ、近代競馬発祥の地イギリスのクラシック競走優勝馬が日本に輸入されるのは当時異例のことであり、購買価格は8500ギニー、当時の日本円でおよそ18万円と極めて莫大なものになった。この輸入は当時の人々の耳目を集め、宮内省主導の輸入であったこともあり、ダイオライトの横浜税関到着時には政府高官を対象とした観覧に供された。その雄大な馬格はそこで概ね好評を博したが、御料牧場の関係者は後ろ脚が曲がっていることを危惧し、「本当に大丈夫なのか」という疑問の声も上がったという。
※この「日本輸入まで」の解説は、「ダイオライト」の解説の一部です。
「日本輸入まで」を含む「ダイオライト」の記事については、「ダイオライト」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から日本輸入までを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から日本輸入まで を検索
- 日本輸入までのページへのリンク