日本軽金属蒲原工場専用鉄道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 16:41 UTC 版)
「富士川駅」の記事における「日本軽金属蒲原工場専用鉄道」の解説
日本軽金属が蒲原工場(1940年操業)への製品の搬出及び工員の輸送を目的として1942年2月27日に岩渕駅-日本軽金属蒲原工場間(2.295m)の専用鉄道免許を得たものである。2月30日に工事に着手し、資材入手難のため完成がおくれたが1943年4月に竣工監査をおえることができた。機関車は国鉄5形を1940年6月小島栄次郎工業所より購入し1941年3月より専用側線で使用していたもの、もう一両は1941年12月本江製作所(立山重工業)製を入手し専用側線で使用していたものを使用することとした。工員輸送用の車両は元白棚鉄道ガ1・2ガソリンカーを国鉄より払下げをうけ客車(ホハ103・104)に改造(定員40人を60人へ変更)し、さらに有蓋貨車3両(元成田鉄道ワ1-1・1-2・1-3)の払下げをうけ客車(ホハ105-107定員40人座席ナシ)として使用した。 その後ディーゼル機関車に置き換えられた。DD102(1954年三菱製、1966年西濃鉄道に売却)、DD103(1961年三菱製)、DF105(1965年三菱製)1984年3月31日廃止
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