日本語版歌集
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「末日聖徒イエス・キリスト教会賛美歌」の記事における「日本語版歌集」の解説
日本への伝道は1901年に開始され、1903年頃から賛美歌和訳の試みが始まった。大和田建樹ら 3人の日本人詩人に翻訳を依頼したとされる。しかし、日本語は英語より音節数が多く、元のメロディーに合わせて歌うことはできなかった。そのため、伝道部長ホレス・S・エンサインが日本語歌詞に合う曲を自作した。最初の日本語賛美歌集は、1905年6月に 『末日聖徒讃美歌』 として発行された (66曲。楽譜は旋律のみの譜で、エンサインの自作曲)。 1905年版日本語賛美歌集は、アメリカから派遣される宣教師にとっては馴染みのない曲ばかりで、使用に不都合をきたした。そのため、1914年から原曲で歌える新しい賛美歌集の翻訳が始められた。当時早稲田大学の学生であった高木冨五郎によって 150曲、ロイド・O・アイビーおよび山根藤七によって 70曲が翻訳され、1915年12月に新しい 『末日聖徒讃美歌』 が発行された (220曲)。これは、1909年英語版歌集 (日曜学校歌集) が底本となった。 1924年、アメリカ人宣教師らは日本から引き揚げ、日本での伝道活動は中止された。第二次世界大戦後に活動が再開され、1948年英語版歌集を底本とする新しい日本語歌集が1960年12月に発行された (紺色表紙、299曲)。訳者は、高木冨五郎とその娘 柳田聡子である。 その後、1985年に現行の英語版歌集 (緑色表紙) が発行されたのに伴い、日本語版歌集も改訂され、1989年11月に 『末日聖徒イエス・キリスト教会賛美歌』 (緑色表紙、200曲) として発行された。翻訳に参加した柳田聡子によれば、200曲の選曲に当たっては、日本各地の教会にアンケートを取ったという。
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