日本映画界のヒットメーカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 05:40 UTC 版)
「舛田利雄」の記事における「日本映画界のヒットメーカー」の解説
1969年に日活を退社し、フリーになる。 1970年、黒澤明が諸事情で降板した20世紀フォックス制作の日米合作による戦争大作映画『トラ・トラ・トラ!』の日本側監督を深作欣二と共同で務める。当時、ハリウッドから降板した黒澤に代わる日本側監督のオファーを日本映画界の名だたる名匠、巨匠らが断るなか舛田自身にもオファーがあり一度は断っていたが、しばらくして再び舛田のもとにオファーがあり「面白そうだから」という理由で日本側監督を引き受け話題となる。 以降は、池田大作原作の映画『人間革命』と『続・人間革命』(脚本家・橋本忍の推薦で参加している)、五島勉原作のパニック特撮『ノストラダムスの大予言』、戦争大作『二百三高地』、『大日本帝国』、『日本海大海戦 海ゆかば』、『零戦燃ゆ』など、大作映画を任される機会が増えていく。 さまざまなジャンルの作品でも常に安定した作風にまとめ上げる確かな演出の腕を買われ、さらに手がけた作品がどれも興行的にも成功したため日本映画界において実力派の映画監督として娯楽作品をコンスタントに手がけてきた。 また『大都会』などの石原プロ作品をはじめとしたテレビ映画の演出も数多く手掛けるほか、筒井康隆作品の初映画化である『俺の血は他人の血』以後、日本SF大賞を受賞した小松左京原作の映画化作『首都消失』など、SFや特撮映画の演出も多い。
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