日本の開国から第二次世界大戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 02:51 UTC 版)
「日本人街」の記事における「日本の開国から第二次世界大戦」の解説
明治維新以後、日本政府はブラジルやハワイなどへの移民を奨励した。多くは農村部で開墾に従事したが、首都や主要都市には日本人会が置かれた。ボリビアのリベラルタにも第二次世界大戦前後に日本人町があったが戦後急速に縮小し、現地住民と同化した。 19世紀後半から20世紀前半にかけて、列強諸国は中国の主要都市に租界を設置したが、日本も日清戦争後に天津、漢口などで日本人居留地として租界を開設した。これらの日本租界は、一般の日本人街とは異なり、日本が治外法権を獲得したほか、行政機関や警察署の運営も行った。上海には日本租界は存在しなかったものの、アメリカやイギリスとともに共同租界を形成し、日本も列強の一員として行政に参与し、日本人居住者が多かった虹口地区は「日本租界」と通称された。日本租界は中国のほか、日韓併合までの朝鮮にも存在した。 また長春以南の満州各都市には、日露戦争後、日本の国策会社である南満州鉄道が行政運営を行う鉄道付属地が設置され、日本人の都市在住者の多くがここに居住した。
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