日本の自転車タクシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 15:53 UTC 版)
「自転車タクシー」の記事における「日本の自転車タクシー」の解説
日本ではかつて自転車タクシーのことを輪タクとも言った。輪タクは当時、終戦時の物資不足から燃料がわずかで、タクシーを走らすことができなかったことから大正初期に生まれた「人働車」を新たに登場させたもので、その名称は、自転車を指す「銀輪」と「タクシー」という言葉の合成させたものからきている。 日本における輪タク営業のはじまりは、1947年(昭和22年)2月1日に闇市を統率してきた関東尾津組が2人乗りの輪タク営業を東京で始めたものだといわれている。 ちなみに営業当初は24キロ10円で、その後10月には20円に値上げされ、1キロごとに10円の加算となっていた。都電と都バスの料金が50銭だった当時から考えると高級な乗り物だった。 その後、同じような営業が各地に広まり、1949年(昭和24年)には全国に70を超え、色々な種類の輪タクや業態が登場した。新潟市の厚生車では、リヤカーに一人用の幌をつけた急造的なもので、日中は駐輪場で、日暮れからは飲み屋などのある盛り場に停車場を設け、客を待つ日々だったという。 輪タクの多くは、1951年(昭和26年) - 1952年(昭和27年)ころにはほとんど姿が見られなくなったが、大分県佐伯市では1955年(昭和30年)2月にまだ、15・16台の輪タクが営業していたという。秋田市内でも、1965年(昭和40年)頃まで営業していたという証言もある[誰によって?]。
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