日本の自治都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/01 16:46 UTC 版)
日本でも、戦国時代から江戸時代にかけて、都市民(町人)の自治による都市が存在した。福岡市の博多、大阪市の平野郷、堺、今井町(現在の橿原市)などがある。 今井町はもともと興福寺の寺社領であったが、永禄年間に一向宗の布教拠点として顕如から寺号を得て今井兵部と今西與次兵衛によって「称念寺」を中心に寺内町を形成した。その後、環濠城塞都市化して織田信長軍と闘ったが、津田宗及の斡旋で武装放棄した。信長から「万事大坂同然」とし特権を許されて商工業を盛んにし自治都市として発展し、「今井千軒」「海の堺、陸の今井」と言われるまでになる。17世紀後半、5代将軍徳川綱吉の頃に幕藩体制が整うと、今井にも代官が置かれ、幕府領として支配されることになる。しかし、農村の多くが20-30軒程度だった当時、1千軒もの家を有する今井町は破格の規模であった。しかも、肥料・木綿・味噌・醤油・酒・材木などの取引も盛んなうえ、大名相手の金融業も活躍し、藩札と同じ価値のある独自の紙幣「今井札」も流通した。これほどの財力は幕府にとっても大きな魅力であったので他とは違う支配体制で優遇した。つまり、「惣年寄」を置き、行政権と司法権を与え、自治的特権を与えられたのである。環濠には9つの門を番人が警備し、親戚以外の者を町内に泊めることを禁ずるなど、町独自の掟も決められ、自治自衛が徹底された。
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