日本の自衛隊駐留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 14:18 UTC 版)
イラク戦争以降はオランダ軍が駐屯・治安維持にあたり、更に2004年1月にイラク復興支援として日本の自衛隊が駐留を開始し、復興支援活動を開始した。オランダ軍は2005年3月でイラク派遣を終了する旨を表明し、予定通り撤退した。撤退の後には英軍が進駐したが、武装勢力が侵入する恐れがあり、自衛隊の安全が保たれるか不安の声が上がった。実際、サマワを「非戦闘地域」であるとし自衛隊派遣を強力に後押しした小泉純一郎首相は、派遣の前後を含め一度も現地視察を行わなかったが、大野功統防衛庁長官(当時)は2004年12月5日にそのほかに自民党や公明党の幹事長などが視察を行った。 しかしオーストラリア軍が増派をしてサマーワの治安維持に当たることを表明。増派にはイギリス・アメリカの要請、また日本との経済上の強い結びつきなどによって増派要請からおよそ2週間と言う短期間での決定となった。 自衛隊の駐留にあたり、サマーワは日本の法において自衛隊のイラク駐留の法的根拠となるイラク復興支援特別措置法に定めた通じて戦闘がなされることの無い非戦闘地域であると認定された。 自衛隊が仮設した入浴施設は自衛隊隊員によりサマワ温泉と命名され、自衛隊隊員の入浴風景などがニュースで報じられた。
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