日本の個人主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 09:28 UTC 版)
明治時代に西欧の文化を吸収する際に、個人主義の概念が流入した。しかし、文化的な心理特性として、最初に関係性がありその関係性の中で自己を形成する日本人の「個人」は、個人を前提に関係性を作る西欧の「個人」とは前提に隔たりがあった。そのため、戦後になり知識層の間から広まった家や世間のしがらみといった古い関係性や規範の呪縛から解放されることが近代化の用件であるとする考えは、関係性を否定せざるを得ないことになったかもしれない(「コジンシュギ」)。個人主義は進歩的な思想として社会運動が盛んだった当時の日本に急速に広まったが、「コジンシュギ」は日本人にとって自己矛盾をはらんでおり、自己責任論や自己肯定感の低下といった社会問題の遠因となっている可能性がある。日本社会が関係性の呪縛から解放されるためには、たとえば、人間関係は個を実現するための糧ないしはサポートシステムであるといった価値観を生み出す必要があるのではないかと考えられる。 見知らぬ人を信頼しない、そして集団の中では他者と違ってはいけない日本社会では、集団の規範と異質な意見は徹底的に否定されるため、個人は創造性を発揮できない状態になっている可能性があり、2008年時点の日本の貿易収支は黒字であるが、個人の創造性を表に出し、集団の外の他者との信頼を問う価値観を模索しなければ、やがて日本社会は停滞していく可能性がある。開放的かつ個人主義的に社会を変化させる勇気を持つことが、21世紀の日本社会が直面している課題である可能性がある。
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