日本のヘロン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 04:51 UTC 版)
「デ・ハビランド DH.114 ヘロン」の記事における「日本のヘロン」の解説
発足間もない日本航空がローカル線に使うつもりでヘロン3機を購入したが、受領したときには特殊会社の日本航空となり、日本航空株式会社法第1条の規定によりローカル線の運航ができなくなったため、乗員訓練に短期間使用したのみで営業運航につかないまま日本ヘリコプター輸送(現在の全日本空輸)に売却、「白鷺」の愛称で東京 - 名古屋 - 大阪線と東京 - 三沢 - 札幌線で運用していた。 東亜航空(TAW/その後の日本エアシステム、現在は日本航空に吸収)は多くのヘロンを運用していたが、搭載エンジンの部品入手が困難になり、エンジンをアメリカのコンチネンタルIO-470に換装し、「タウロン(TAWロン)」と命名し運用していた。「TAWロン」とはTAW(東亜航空)+ヘロン」の合成語である。ヘロンとタウロンの区別の仕方は、ヘロンのエンジン吸気口がプロペラの下側に付いていたのに対して、タウロンの吸気口は横側についていることが外見上最も判別しやすい特徴である。なおノーズギア(前輪)は変わらず引き込み式の改造はなされていないため、ゾウやバクの鼻のような独特の姿はそのままである。 1963年8月17日、八丈島にて藤田航空のヘロン(JA6155)型旅客機が、八丈島空港を離陸直後に八丈富士に墜落する事故が発生し、乗客・乗員19名全員が犠牲となった。 最後期は奄美群島の離島間路線で運用され、細々と活躍を続けていたが、東亜国内航空時代初期の1973年3月をもって引退し、日本の空から完全に姿を消した。
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