日本の「ミカン」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:27 UTC 版)
「ウンシュウミカン」の記事における「日本の「ミカン」」の解説
ミカンとして最初に日本に広まったのは小ミカンである。中国との交易港として古くから栄えていた肥後国八代(現・熊本県八代市)に中国浙江省から小ミカンが伝り、高田(こうだ)みかんとして栽培され肥後国司より朝廷にも献上されていた、それが15 - 16世紀ごろに紀州有田(現・和歌山県有田郡)に移植され一大産業に発展したことから「紀州」の名が付けられた。また江戸時代の豪商である紀伊国屋文左衛門が、当時江戸で高騰していたミカンを紀州から運搬して富を得た伝説でも有名である(史実ではないとされる。詳細は紀伊国屋文左衛門の項目を参照)。また江戸時代初期、徳川家康が駿府城に隠居したとき、紀州から小ミカン(キシュウミカン)が献上され、家康が植えたこの木が静岡県のみかんの起源とされている。静岡のみかんの起源には富士市(旧富士川町)の農夫が外国から移植した経緯もあり、家康が起源のみかんとは歴史も古く品種も異なる。 ウンシュウミカンは当初「長島蜜柑」「唐蜜柑」などと呼ばれていたが、種子を生じない性質から武士の世にあっては縁起が悪いとされ、ほとんど栽培されることはなかった。しかし江戸時代後期よりその美味と種なしの利便性から栽培が行われるようになり、明治27年(1894年)ころから生産を増やして徐々に小ミカンに取って代わるようになった。「温州蜜柑」との呼称が一般的になったのもこのころである。
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