日本で掘立柱建物がつくられ続けた理由
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 08:18 UTC 版)
「掘立柱建物」の記事における「日本で掘立柱建物がつくられ続けた理由」の解説
中国大陸や朝鮮半島では早くから礎石・土台建物が住居建築においても普及していたにもかかわらず、日本では移入されてのちも限られた建物にしか用いられなかった。その理由として次の2点が指摘されている。 自然災害の多い気候 - 律令時代の寺院・宮殿・官衙などの礎石建物は礎石上に柱を固定させずに据え置くため、柱径を太くして瓦屋根の重みで建物全体を安定させる必要があり、また、柱上の屋根との接点に複雑な組物をおいて地震や台風の横力を分散させる柔構造の建築である。それに対して掘立柱建物は柱の足元を地中に固定し、柱上に直接桁を置き、草・板・樹皮で葺いた軽い屋根を載せる剛構造であり、この構造は柱の太さに関係なく地震・台風にある程度耐えることができ、建築費が安上がりで技術的にも簡略な方法による大量生産が可能である。 木材資源の豊かさ - 寺院などの公共的な建築には中国大陸伝来の立派で華やかな礎石建物を採用する一方、日常生活の場である住居には大陸様式ではなく、弥生時代以来の伝統的な生活スタイルを保つために、伝統的で簡素な形式の掘立柱建物を採用した。掘立柱建物の場合は災害によって倒壊しても、上記のような利点や木材調達の面から再建が礎石建物に比べてはるかに容易であったものと理解される。 なお、伊勢神宮(三重県伊勢市)の式年遷宮は20年に1回まったく同じ形での建て替えを古来より連綿と伝えてきた行事であるが、ここでは今日でも正殿は掘立柱建物の様式で建てられる。また、奈良県桜井市の大神神社は昔も今も本殿がなく三輪山自体が神体であるが、大嘗祭の時だけ建てられる正殿は、やはり黒木造の掘立柱建物である。
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