日本での難民認定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 03:44 UTC 版)
「ピエ・リヤン・アウン」の記事における「日本での難民認定」の解説
2021年5月28日、遠征先の千葉市・フクダ電子アリーナで行われたワールドカップ予選、日本代表戦で国歌斉唱の際に抗議の三本指を掲げて、同年2月1日にミャンマーで断行された事実上のクーデターに対する抗議の意思を表明。抗議に踏み切った理由について「軍は多くの国民を殺していて、国民は不当な迫害を受けている。しかし、今の状況では、目の前で誰かが殺されても、どこに通報したらいいか分からない。こうした状況を世界中の人に知ってもらいたかった」と語っている。その後、母国に戻れば殺害される恐れがあると考え、約半月にわたって自身の身の処し方を決めあぐねていた。 6月15日、日本での最終戦となったタジキスタン代表との試合後、宿泊先のホテルから逃げ出そうと試みるも失敗に終わり、チームメイトとの帰国を一度は決心した。翌日16日午後8時頃、選手団を乗せたバスが関西国際空港に到着。出国手続きを進めていくさなか、携帯電話で近しい人や多くの支援者から励ましの言葉をもらったことで「最後の最後まで頑張ろう」という気持ちになり、諦めていた日本への亡命を再び決意した。離陸2時間前、空港の出国審査にて帰国を拒否。17日、記者会見を開き、難民認定を申請する意向を示した。 7月2日に日本政府から「緊急避難措置」によって半年間の在留資格と就労が認められ、7日から9日までJ3リーグに属するY.S.C.C.横浜(以下、Y.S.C.C.)に招かれて同クラブの練習に参加した。7月23日、Y.S.C.C.の練習生になることが決まった。 8月20日、大阪出入国在留管理局は、ミャンマーに帰国すれば迫害される恐れが強いとして、ピエ・リヤン・アウンを難民認定し、難民認定証明書を交付した。
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