日月神示が遂に降ろされる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 07:29 UTC 版)
「日月神示」の記事における「日月神示が遂に降ろされる」の解説
前述の扶乩実験の約2ヶ月後の6月10日に天明は同郷の先輩で知人でもあった高田集蔵の誘いで千葉県印旛郡公津村台方(現・成田市台方)を訪れるが、そこに実験の時に現れた天之日月神を祀る延喜式内社で麻賀多神社の末社である「天之日津久神社」があった。神典研究家で神名には明るかった天明でも天之日月神がいかなる神なのか、また、どこに鎮座され祀られている神なのかが扶乩実験後もしばらくは分らなかったと後に述懐している。 天明によると天之日津久神社を参拝し厚く御礼を申し上げ、社務所で一息ついている時に予期しない自動書記現象が起こったという。画家でもあった天明は矢立や画仙紙を常に持ち歩く習慣がありこの時も例外ではなかったが、突然、額のあたりに「ピリッ」とした強い衝動と右腕に非常な激痛を感じ、矢立と画仙紙を取り出し、筆を画仙紙にのせたところ自分の意思に反して猛烈な勢いで筆が走り意味不明の殴り書きをした。天明の言葉によれば、右腕に焼火箸を突っ込まれたような激痛だったという。 以前から霊的体験が豊富で自らも霊媒役などを務めた経験がある天明は、右腕の激痛時にこれらは自動書記の前触れかもしれないと瞬間的に思った。同時にこれ程強く肉体に感応する場合は従来の体験から考えて幽界からの感応ではないかと思い、少し困惑もしたという。しかし、特に額部分からきた事と(天明自身の述懐では、それまでにあった霊体験のもので幽界からの感応は、そのほとんどが肉体の背後からのものだった)、激痛を感じながらも気分は悪くないことから、神界からのものだと思い直しこれを確信した(神界からの感応と幽界からの感応の違いについては「霊界と現界との関係」の節を参照)(参1)(参2)。 これ以前に天明が経験していた自動書記や霊的現象では天明自身が中止しようと思えば中止出来たが、今回の場合は中止しようとすればさらに右腕の激痛が耐えられぬほどになり全く自由にならなかったという。これが後に日月神示と呼ばれる神示、神典でこの日が発現の重要な日となった。なお、書記を終えた時には先程までの右腕の激痛は嘘のように消えていた。その後も神示が降りてくる時には右腕が痛くなり、書記が終われば治まるということの繰り返しが続いたと言われている。 なお、この時に書記されたものが日月神示の第一巻である「上つ巻」の第一帖及び第二帖であった。
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