日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動きとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動きの意味・解説 

日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動き

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/21 02:05 UTC 版)

日華連絡船」の記事における「日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動き」の解説

1937年昭和12年)、日中戦争が始まると、日本上海往来する日本人大幅に増加した日華連絡船上海から日本引き上げ避難民11,892人)の輸送で、同年の上海~長崎乗客数前年度から約1万増加するなど輸送状況逼迫した。このため開戦翌年1938年昭和13年)には航路起点長崎港変更され長崎神戸運行取りやめとなった日本郵船としては日中間の輸送状況一段落した頃に神戸寄港再開する予定であり、同年5月その旨発表した。この動き対し長崎商工会議所関係機関大長振興会」は「神戸寄港再開によって寄港地である長崎九州各県企業大陸進出における既得権益失われる」という名目猛反発した。同会は県や佐世保市商工会議所結託し九州各県神戸寄港再開見直しへ同意するよう求めた6月初めに逓信省日本郵船更には上海居留団や陸軍運輸部に対して寄港再開見直しへ同意するよう圧力をかけ、日本郵船最終的に神戸寄港再開断念した国際航路性格上、戦争激化とともに乗客へも厳しい目が向けられるようになっていた。船には「不逞分子発見」を目的特高警察警察外事課隊員乗り込み航海中に査証確認が行われた。特高警察上海航路警乗記」によると、乗客中には上陸禁止措置受けた者や密輸摘発受けた者、中には国際的なスパイとして逮捕される者も存在したこの頃になると、切符購入の際に警察発行顔写真付き身分証明書と、伝染病予防の証明書が必要となっており、以前のような気軽に上海へ」という空気失われていた。

※この「日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動き」の解説は、「日華連絡船」の解説の一部です。
「日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動き」を含む「日華連絡船」の記事については、「日華連絡船」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動き」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動き」の関連用語

日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動きのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



日中戦争開戦と神戸寄港をめぐる動きのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日華連絡船 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS