新島学園と岩井
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1961年(昭和36年)8月、同志社大学神学部教授、学生部長、並びに丹波教会牧師を辞任して、新島学園中学・高等学校長に就任 1980年(昭和55年)岩井文男が学園長に、新藤二郎が第4代校長に就任 1983年(昭和58年)4月開学の新島学園女子短期大学の初代学長に就任 1983年8月12日、死去(81歳)、翌13日、東京都民教会で井上喜雄牧師説教・司式による告別礼拝 1983年9月24日、新島学園中学高校体育館で、棟方文雄牧師の説教によって追悼礼拝 追悼礼拝説教「彼は死んだが信仰によって今もなお語っている」(ヘブライ人への手紙 11:4) 説教者・棟方文雄(1911-1988、当時西宮教会牧師)は岩井文男の同志社神学部の同期生 なお、『日本キリスト教歴史大事典』(1988)の項目「新島学園」の執筆者は岩井文男である。 岩井文男自身は、新島学園校長時代に出版した『海老名弾正』(日本基督教団出版局 1973)の「まえがき」(1972年10月11日)の中で、新島学園校長の多忙さを率直に次のように書いている。中高の校長職の「雑務」とは、その職を経験した者にしかわからない多忙さかもしれない。 ”教団出版局からの依頼に、多少自ら危ぶみつつ執筆を引き受けたものの、筆者はただいま田舎の小さな中学・高等学校の校長兼小使いのような仕事にたずさわっているために、雑務に追われて充分な時をさくことができず、ほとんどこま切れ時間を利用しての執筆である。”
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