文献の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/16 13:57 UTC 版)
その後、この文献がどのように伝承されたのかは分っていない。ある時期までは、宮中にて「正史」として把握され管理されたと想像される。しかし、漢字や漢文の流入により、いつしか忘れ去られ、物部氏の滅亡に代表される古い豪族の衰亡、藤原氏の仏教への傾倒などによって、管理もおろそかになっていったものと思われる。生洲問答によれば、道鏡の時代にはまだヲシテ文献の原書が全巻そろっていたという。吉備真備は、天香山本記(カグノフミ)・神載山書記(ミカサフミ)・秀真政伝紀(ホツマツタヱ)を所蔵していた。しかし、道鏡により文書の改ざんが指示され、文書を守る為に大加茂臣赤坂彦が自刃し、子孫は和仁估氏を名乗り文書を隠し持って近江へ蟄居し、その後秘伝の書としたという。また、桓武天皇が最澄に秀真政伝紀(ホツマツタヱ)を託し、比叡山の石室に納めたともいう。しかしながら、これらを裏付ける資料は見つかっていない。
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