文献に残る資料とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 文献に残る資料の意味・解説 

文献に残る資料

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/20 04:55 UTC 版)

村上吉資」の記事における「文献に残る資料」の解説

1449年(文安6年)6月村上備中守(吉資)は伊予守河野教通から伊予国越智郡の佐礼城を攻略した戦功感状がある。当時河野氏惣領家の教通が畠山持国庶子家の通春が細川勝元支援受けて守護職巡って争っていた。余談ではあるが、同年8月付の中庄金蓮寺薬師堂建立棟札(写し)に「領主村上備中源吉資」の名がみえる。 ところが、河野通春守護職となった1453年(享徳2年)5月には、細川勝元は通春の帰国に際して吉資を賞する御教書発している。 1462年(寛正3年)3月東寺より「村上備中」が因島地頭代任じられている。因島東寺荘園であり1458年(長禄2年)に小早川氏中庄・三庄、木梨杉原氏が重井庄を襲っており、吉資に地頭代の職を与え見返り因島守備年貢輸送義務付けたと思われこれを以て因島村上氏おおやけに因島支配者として認められたことになる。

※この「文献に残る資料」の解説は、「村上吉資」の解説の一部です。
「文献に残る資料」を含む「村上吉資」の記事については、「村上吉資」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「文献に残る資料」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「文献に残る資料」の関連用語

1
12% |||||

文献に残る資料のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



文献に残る資料のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの村上吉資 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS