教育現場での対応
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 04:39 UTC 版)
近世政治起源説が従来の同和教育において「正しい認識」とされたのは、後述の古代起源説や異人種起源説に基づいて差別を当然のものとする風潮の根絶に対抗できるものとされたこと、社会問題や社会の不正義を遅れた発展段階に起因するとしがちな発展段階史観が戦後の歴史学研究や歴史教育を席捲したこと、豊臣秀吉や徳川家康といった歴史的人物個人の責任とすることで誰も傷つかずに差別現象のみを糾弾できるとされたことが大きかった。しかしその一方で、職業や地域を離れても差別が継続してきた実態と乖離し、民衆の間で差別を再生産していく構造の歴史的な形成過程の解明に対しては無力であった。よくある例として、部落差別は地域と職業に由来するので、そこから脱出した者について被差別部落出身と言うことは差別ではないという詭弁を用いる典型的な差別を招来することさえある。 各県の教育委員会の指導する同和教育においては、1990年代半ばになってようやく、近世政治起源説が学術的に否定されつつあることが意識され始めたが、当初は教職員の研修などの場において「歴史学的には近世政治起源説は事実ではないと否定されてきているが、同和教育においては近世政治起源説こそが正しい認識であるとの立場であるから、これで同和教育を行うように」という指導がまかり通るなどのちぐはぐな対応であった。この見解は「同和教育」をデマゴギーであると認めた点で、同和問題のみならず公教育一般についての再考すら迫らす大きな意味を含んでいた。 1990年代末になってようやく近世政治起源説で同和教育を行うことの問題を論じたリーフレットなどが県教育委員会によって編纂され、県立高校や市町村教育委員会に配布されるに至っている。
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