教育現場の服装の乱れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 05:04 UTC 版)
戦前から若者の間では「年寄りが勝手に決めた堅苦しい規範」に反する動きは当然のごとく存在した(旧制高校におけるバンカラ(蛮カラ)が典型例)。しかし、当時は限られた階層でしかかかる自由の表現ができなかったのに対し、大衆消費社会となった1960年代末期、日本においては全面的にかかる反抗が開花した。高等学校においては、学校の権威による学生服着用の強制に対し、生徒たちは「制服自由化運動」というやはりモダニズム的なやりかたで対抗し、各地で学園紛争がひろがった。だが、現代の生徒たちは、同じ強制を、服装の乱れというポストモダニズム的な行動によって個別的ないし小集団の行動として消滅させようとしている。 学校における服装の乱れは、一般に、教育困難校と評される学校の生徒に多いと考えられがちであるが、むしろこれらの学校では厳しい生活指導が徹底され、服装の乱れが見られにくい場合もある。逆に進学校や難関校と評される学校で、勉強さえやっていればあとは自由などの発想から、生活面の指導が行われず、教育困難校以上に服装の乱れが広まっている場合もある。さらに、どのような学校においても、校外では教職員による指導が困難となり、服装を乱す生徒が多くなる。
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