救助者のプロフィール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 16:13 UTC 版)
「宮古島島民遭難事件」の記事における「救助者のプロフィール」の解説
楊友旺(1824年-1916年2月)(Yang Youwang) 保力床(地名)の総頭(トップ)。鄧天保、林阿九から蕃人から追われた9名の琉球人の保護を求められ、事の重大さに驚き、9名を匿った。長男、二男などを伴い現場に赴き残虐の跡を見ている。森林の中から蕃人から追われた2名を助け、林阿九と共に蕃人の慰撫につとめ、牛、豚、布を与えた。他に一名抑留しているのも豚、布を贈り助けた。生存者を自宅に保護し、食事を与えた。また生存者の輸送の事務手続きに尽力した。 楊河財 楊友旺の長男。生存者に付添い送っていった。生存者の島袋亀より2歳若い。1925年当時、照屋宏が書いた牡丹社遭難民墓碑改修報告書によると、75歳の島袋亀と73歳の楊河財を会わせたいとあるが、実際は会っていない。 林阿九(Lin Ajiu) 統捕の頭人。通事(通訳)。鄧天保から協力を求められ協力した。欲に目がくらんだ、加知来社の頭目温朱雷が牡丹社から髑髏を盗む情報を林阿九は得て、輸送中の彼に出会い、説得して日本軍に提出せしめた。彼の家で事件後、犠牲者の供養を続けた。 鄧天保(Deng Tianbau) 逃れてきた3人を匿った。蕃人の事をよく知っていたので、慰撫した。多くの衣類を蕃人に与えた。捜索して6人を保護。林阿九と楊友旺に協力を求めた。 凌老生(Ling Laosheng) 産物を扱う商人。この店で、沖縄は首里からか那覇からかと聞いたので、島袋親子は初めて意思が通じほっとしたとある。しかし追ってきた現地人に要求されたが、酒樽がなく、蕃人をなだめられなかった。島袋親子を始め9名は床下などに逃れ助かったが、引っ張られて犠牲になった者もでた。
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