政界時代
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1925年(大正14年)8月、待命となり、12月に予備役編入となる。48歳での予備役編入を聞き皇太子(昭和天皇)は「なぜ、漢那がそんなに早く予備役になるのか」と洩らしたという。海軍を退役後、沖縄の郷党の熱烈な懇請により、政界への進出を決意。 1928年(昭和3年)、沖縄県から衆議院議員に立候補して当選し以後当選5回、勤続10年におよんだ。5回のうち4回は最高得票であった。 1939年(昭和14年)1月19日、平沼内閣内務政務次官に任ぜられる。 1942年(昭和17年)の選挙遊説中、妻が過労による脳卒中で倒れる。妻は一命は取りとめたものの半身不随となる。 1945年(昭和20年) 衆議院議長候補に擬せられる。4月、米軍は沖縄本島に上陸。6月14日、小禄にあった海軍部隊は全滅。翌15日、米内海相に招かれ、6月6日付沖縄方面根拠地隊司令官大田実少将からの訣別電文を見せられる。漢那は、肩を震わせて嗚咽を堪えていたという。 敗戦後、帝国議会で沖縄県民の公民権停止が論ぜられた際に反対の論陣を張ったのは漢那一人だけであった。1946年(昭和21年)1月、公職追放令により失職。 1949年(昭和24年)、この頃から「嫌な咳」をするようになり、翌年には吐血するようになった。診察をうけたところ、肺癌と診断された。 1950年(昭和25年) 東京都にて死去。73歳。
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