携帯日時計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 08:46 UTC 版)
携帯日時計は野外天体観測のためあるいは宗教的行事を行うために、中世に開発された。最も成功した携帯日時計は、ディプティクという、2枚の文字盤が、ヒンジで固定されているものだった。指針は、文字盤の間に通された紐である。紐がぴんと引っ張られたときに、2つの文字盤はそれぞれが水平式と垂直式の文字盤となった。最高級品は、白い象牙に黒のラッカーで文字を記したもので、紐は絹糸かリンネルで作られた。 ディプティクのヒンジが地面と平行で、2つある文字盤が同じ時刻を指したとき、時計は正確に視太陽時を示した。さらにこのとき、ヒンジは真北を示す。またこのとき、紐でできた指針と地面との角度は、その地の緯度も示すことになる。 2つある文字盤による調整は、正午前後と日没直前、日の出直後は使用できない。しかし、午前9時か午後3時ごろの誤差は4分である。 これは、ディプティクが、方位磁針や緯度計測器の役目も果たしたということを意味する。いくつかのディプティクは、緯度計測のために、目盛りとおもりのついた紐もついていた。また、地理的な角度測定をするための羅針図付きのものもあった。大きなディプティクは古代において(船などの)操縦に使用された。小さくポケットサイズのものもあった。 最も小さな携帯式日時計は、穴付きの突起がついた指輪や、ネックレスにつけられた装飾だった。これは日時計を所持していることを知られないようにするための細工でもあった。日光に当てると突起部分の影は指輪自身にかかり、その内側に記された目盛りで時刻を知ることができる。この形状のものは、観測者は今が昼か夜か、午前中かどうかは知っている必要があった。突起についた穴の位置は緯度により調整する必要があるため、この部分は動かして穴の位置が変えられるようになっていた。これは主に塔などに幽閉された人物などがこっそり使うためのものだった。 日本では、江戸時代に紙の携帯式日時計があった。これは、指針の部分がこよりになっており、立てて影の長さでおよその時刻を知るというもので、当日の日付さえ分かっていれば、それなりに正確に時刻を出すことができた。これは旅人が好んで使い、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの記述にも残っている。
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