掘削と完成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/27 09:10 UTC 版)
西ノ島における船引運河の位置国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成 1913年(大正2年)には西ノ島中央部の美田船引にある地峡部に運河を開削する計画が発案された。村営事業といえば道路整備が精いっぱいの時代であり、住民にとっては奇想天外な計画だった。地峡部は黒木村の地内にあったが、黒木村と浦郷村が組合を設立して共同で行った。また、この奇想天外な計画を実現するために村民の理解を得るのは容易ではなかったが、黒木村の中西松次郎村長と浦郷村の今崎半太郎村長が村民を説得した。島根県による金銭的支援もあり、高岡直吉知事は5900円の助成金を支出している。 中西は1913年(大正2年)7月28日の黒木村議会で運河の開削を提案した。浦郷村議会でも9月12日に運河の開削が可決された。1914年(大正3年)6月22日に着工。岩盤の破砕には火薬を用いたが、基本的には鍬とつるはしによる人力の作業だった。1915年(大正4年)3月末に船引運河が完成した。総工費は1万7000円。総工費は村の年間予算に匹敵し、西ノ島の歴史上稀に見る大事業だった。完成当時は全長340メートル、幅5.5メートル、水深1.65メートルだった。5月24日には高岡知事も列席して開通記念祝賀行事を行っている。
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