挫折から無敵の存在へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/06 13:53 UTC 版)
「エリック・ハイデン」の記事における「挫折から無敵の存在へ」の解説
ハイデンは幼少時から、スポーツマニアの父により様々な競技をさせられていた。初めてスケートリンクに立ったのは3歳のときだったという。スピードスケートを本格的に始めた高校の時にはすぐに全米でもトップクラスの選手となり、世界ジュニアスプリントで2位に入った。しかし1976年、初めて挑戦したインスブルックオリンピックでは500、1000mとも入賞すら果たせず、当時スケート大国であったソ連やオランダ勢には遠く及ばなかった。 これを機にハイデンは、地元のクラブの女性コーチダイアン・ホルム(札幌オリンピックスピードスケート1500m金メダリスト)に頼み込んで独自の超ハードな練習を徹底的に行い、驚異的な肉体を身につけた。太ももの太さは74センチに達していたという。それでも本人もコーチも未知のトレーニング(オイルを塗った床の上ですべる練習やゴムチューブを巻きつけて引っ張り遠心力に耐える等)であったため、実際に成功に結びつくか不安があった。またコーチもナショナルチームのコーチではなく、単なる地元のスケート教室のトレーナーだったため、旅費を捻出できずヨーロッパ遠征にも同行できなかった。 しかし、結局ハイデンは1977年から1979年までスプリント、オールラウンドの両世界選手権を連覇して正に無敵の存在となり、本場のヨーロッパ勢を唖然とさせることとなった。また、そのトレーニング方法も今日では普通にスピードスケートの選手が取り入れるポピュラーなものとなったのである。世界記録も何度も更新し、万全の体制で1980年、地元のレークプラシッドで行われる冬季オリンピックに臨むこととなる。
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