挫折と成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 14:42 UTC 版)
2012年はMスポーツ・フォードからWRCフル参戦を果たす。第12戦ラリー・イタリアで3位初表彰台を獲得するが、シーズンを通して安定感を欠き、Mスポーツから放出され、2013年はエストニアのローカルラリーに逆戻りする。 2014年はDMACKが立ち上げたWRC2チームと契約し、フィエスタR5をドライブ。WRC3戦に出場し、第4戦ラリー・ポルトガルでは序盤2位を快走した。また、ヨーロッパラリー選手権 (ERC) 2戦にもスポット参戦し、ホームイベントのラリー・エストニアで優勝した。 2015年は引退したミッコ・ヒルボネンの代わりにMスポーツ・ワールドラリーチームに加入し、2年ぶりにWRCにフル参戦。第7戦ラリー・ポーランドで3位表彰台を獲得するも、シーズン終了後に再びMスポーツから放出される。 2016年はフォードのセカンドチームとして発足したDMACK・ワールドラリーチームよりWRCにフル参戦。第7戦ラリー・ポーランドで初日から首位を快走し、セーフティリードを築いて最終日を迎えるが、最終SS目前のSS20で痛恨のパンクを喫し2位に終わる。フィニッシュ後、悲嘆にくれるタナックをセバスチャン・オジェら他の選手たちが慰め、健闘を讃えるという光景がみられた。第12戦ラリーGBでもオジェを猛追し2位を獲得。シーズン終了後、公式サイトwrc.comのファン投票による「WRCドライバー・オブ・ザ・イヤー」に選出された。 2017年は再びMスポーツに復帰し、WRC4連覇中のオジェとコンビを組む。持ち前の速さに加え安定感を身につけ、開幕から上位フィニッシュを重ねる。第7戦ラリー・イタリアではWRC参戦73戦目にして初優勝を達成。エストニア人の優勝は、師であるマルティン(2004年ラリー・カタルーニャ)以来13年ぶりとなった。第10戦ラリー・ドイツでも雨天のタイヤ選択が成功し、ターマック初勝利を獲得。年間チャンピオン争いにも食い込み、最終的にオジェとティエリー・ヌービルに次ぐランキング3位を獲得し、Mスポーツのチームタイトル獲得にも貢献した。
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