挫折と中断
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:26 UTC 版)
舎人防災緑地に関する計画案は東京地方委員会にて可決された後に内務省の認可を受け、内務省告示第百四十七号で告示された。同年の第75回帝国議会で建設が可決されると、計画用地(102.1ha)買収は驚異的な速さで進められ、同年末には99%に達する101.5haの土地が買収がされ、翌1941年(昭和16年)末には全用地の買収が完了した。 しかし太平洋戦争(第二次世界大戦)の戦局が悪化することで、買収された用地は食糧増産計画の一環で旧地主やその小作農に貸与され、耕作地として利用される。このことが災いし、大戦終結後のGHQの行った農地改革の一環で広大な農耕地の強制買収と自作農への供給が行われると、東京都は買収した舎人緑地を貸し与えていたことから不在地主と見做され、1948年(昭和23年)11月までにその土地のすべてを政府に強制買収され失ってしまった。
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