抗プラスミン剤(ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸)の発見と開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 10:26 UTC 版)
「岡本彰祐」の記事における「抗プラスミン剤(ε-アミノカプロン酸とトラネキサム酸)の発見と開発」の解説
「抗プラスミン剤」の研究は、1947年(昭和22年)、林研究所と三菱化成研究所との提携で始まった。いわゆる「産学共同」のはしりである。林研側から岡本彰祐が、三菱側から長沢不二男が企画・指導の責任を負った。長沢は研究テーマを選択するにあたり、 (1)国際的な水準を抜く研究であること (2)未開の領域であること (3)できれば病気の治療に役立つ《くすり》を開発すること を岡本に要求した。そこで選ばれたのが線溶系酵素プラスミンの抑制物質、抗プラスミン剤の研究であった。 1948年(昭和23年)、自然アミノ酸の1つであるリジンが低濃度でプラスミンを阻害することが発見され、このリジンの化学修飾によりε-アミノカプロン酸が開発された。その抗プラスミン作用はリジンの約10倍強く、また安全性の高い物質であることが確認され、1954年(昭和29年)に抗プラスミン剤「イプシロン」として第一製薬(現 第一三共)より販売された。 1956年(昭和31年)、米国での特許取得のため更なる臨床試験と動物実験が必要となり、慶大医学部に12の臨床講座を含む200人の大プロジェクトチーム「アンチプラスミンプロジェクト」が発足した。その結果が13編の英文の論文として発表され、米国政府の許可が原則的に得られただけでなく国際的にも大きなプラスミン・ブームを引き起こすことなった。 1960年(昭和35年)には、ε-アミノカプロン酸よりもさらに10倍強い抗プラスミン作用を持つトラネキサム酸の開発に成功し、1965年(昭和40年)「トランサミン」として販売され、現在も止血剤として世界中で広く用いられている。
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