憲政発祥の聖地、浅草本願寺
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「憲政碑」の記事における「憲政発祥の聖地、浅草本願寺」の解説
全国の憲政功労者の慰霊を目的とした憲政碑は、浅草本願寺に建立されることになった。なぜ浅草本願寺が選ばれたのかというと、浅草本願寺広書院に上中下の馬蹄型の議場を設け、1875年(明治8年)6月20日に、明治天皇や諸皇族らが参列する中で第一回地方官会議が開会されたことにちなんでのことであった。 地方官会議は木戸孝允が「地方の民情を明らかにし、内政の基本方針を定める」ことを目的に開催を提唱したものであり、木戸が議長となり、会議参加者は県令、府知事ら地方官であり、地方官をその地域選出の代議員に仮想して民政上の諸問題を審議することとした。そのため地方官に対しては「議員として議場に現れた際には、一般人民の代表者と心得よ」との指示が出されていた。つまり変則的なものではあるが、地方官会議は日本における代議制のはしりであるとともに、会議の目的も衆議院と類似していた。そのため、この地方官会議は日本の憲政、代議制が初めて具体化したものであるとして、会議が行われた浅草本願寺を「わが国憲政発祥の霊地」と見なしたのであった。
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