憲政史家として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 05:19 UTC 版)
「アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の記事における「憲政史家として」の解説
庶民院書記官補佐および書記官時代のメイは執筆の幅も広げ、後に憲政史・民主史家としても評価されることとなる。この時期のイギリス社会は、民主主義が真の意味で大衆に浸透し始めている。1850年頃から1870年代初期までは「イギリス資本主義の空前の繁栄」を見せ、各地で急速に工業化が進んだ時代である。1860年代には労働運動が高まった。また、「知識税(英語版)」とも批判されて一般大衆の学ぶ自由を阻んでいた印紙法(英語版)(別名: 新聞税)の1855年廃止も大きい。これにより地方新聞が急速に発達、各地に敷設された鉄道網に乗って新聞が流通し、ロンドン中央政界のニュースが地方の政情にまで影響を与えるようになった。不正と審議遅延を招いた1832年の第1次選挙法改正から35年後の1867年には第2次選挙法改正(英語版)が、続く1884年には第3次選挙法改正(英語版)が行われ、選挙権が2次で都市労働者まで、3次では農村・鉱山労働者まで広がった。つまり、大衆民主主義に必要な社会インフラが整備された時代に、メイはイギリス憲政史と民主主義を論じたのである。
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