慧思後身説とは? わかりやすく解説

慧思後身説

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 00:52 UTC 版)

太子信仰」の記事における「慧思後身説」の解説

天平19年(747年)に主だった寺院作成され資財帳のうち、『法隆寺伽藍縁起幷流記資財帳』の太子による『三経義疏』の作成や、『大安寺伽藍縁起幷流記資財帳』の創建伝承に、日本仏教創始者としての太子信仰芽生え見られる奈良時代中期には鑑真来朝きっかけに唐仏教影響を受け、太子中国天台宗慧思生まれ変わりとされるうになる。それによれば前世慧思は『法華経』を日本もたらし僧寺尼寺創建し日本の仏教盛んにすることを予言し転生した太子菩薩方便をもって出家勧めて三経義疏』を著した記している。こうした伝承により太子聖人化がさらに進んだ。なお、慧思後身説は入唐した日本の僧によって唐にも伝えられている。 慧思後身説に立脚して新たに創作され伝承法華経将来説話である。延暦7年(788年)に思託によって著された『上宮皇太子菩薩伝』では「太子前世使用した法華経』を取りに隋に使い発した」と記されるが、のちに著された『皇太子伝』では使い小野妹子記される。この小野妹子将来の『法華経』が実在するとしたのが法隆寺であったが、この伝承を偽りとした『補闕記』では「『法華経』を将来したのは小野妹子ではなく太子超能力取り寄せた」としている。 このような奈良平安時代発展した太子信仰について、吉田中国朝鮮半島対す日本優越主義現れだとしている。

※この「慧思後身説」の解説は、「太子信仰」の解説の一部です。
「慧思後身説」を含む「太子信仰」の記事については、「太子信仰」の概要を参照ください。

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