愛媛県松山市「たけうち」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/10 14:17 UTC 版)
「労研饅頭」の記事における「愛媛県松山市「たけうち」」の解説
昭和初期、松山市は深刻な不況に襲われ、夜学生が学資を確保することが困難であった。それを見かねた私立松山夜学校(現在の私立松山学院高等学校)奨学会は、夜学生の学資を供給する事業がないか模索していた。その頃、岡山県倉敷市にあった労働科学研究所が満州(現在の中国東北部)の労働者の主食であった「饅頭」(マントウ)を日本人向けに甘くアレンジし、これを岡山県や京阪神の業者が販売していることを聞きつけた。小麦粉で作る饅頭は安価に製造できるため、これを松山で製造販売し、学資を確保するとともに夜学生の主食にもしてもらうことを企画したのである。 こうして1931年に松山で「労研饅頭」の名で販売が開始された。「労研」とは労働科学研究所の略。また、饅頭を「まんとう」と読むのは中国東北部の主食「マントウ」が起源だからである。なお、当時は4個で5銭、松山市内の学校や軍内で販売され、夜学生の学資確保に貢献したという。 その後、労研饅頭は個人営業の竹内商店(現在の販売店「たけうち」の前身)が製造販売するようになったが、戦火の拡大により、1943年には小麦粉も入手難となり、販売休止に追い込まれた。しかし、受け継いだ酵母は守り通され、1945年の終戦後には早くも販売が再開されている。1952年に「たけうち」が「労研饅頭」の登録商標を取得した。 高度成長期には洋菓子などに押されたが、保存料などを使わない自然食であることが見直され、松山の名物菓子として定着している。
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