惜敗続きで人気を得る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:16 UTC 版)
「ステイゴールド」の記事における「惜敗続きで人気を得る」の解説
日経賞の次走となった天皇賞(春)でステイゴールドは14頭立ての10番人気(単勝オッズ57.9倍)と低い下馬評の中でレースを迎えたが、中団追走から鋭い差し脚を繰り出して並んで伸びたシルクジャスティスを競り落としてメジロブライトに次ぐ2着を確保した。続くグランプリ・宝塚記念でもサイレンススズカの2着(9番人気)と好走、GIにおける2戦連続の2着と、そこまでで通算8度の2着という成績から注目され、「シルバーコレクター」という異名を与えられた。秋シーズンも天皇賞(秋)(蛯名正義騎乗)でオフサイドトラップの2着、年末のグランプリ有馬記念でグラスワンダーの3着といった成績が続いた。1999年に入ると3着が増えたが、秋の天皇賞ではGIで4度目の2着となっている。陣営は試行錯誤を続けていたが、一方でステイゴールドはその惜敗続きの成績から、独特の人気を獲得していった。作家の高橋直子は伝記『ステイゴールド物語』において、人気の萌芽が見られたレースを1998年の宝塚記念として、次のように記している。 おずおずと、しかしはっきりと、不思議な人気が出はじめた。これだけ二着が得意なのだから、馬券好きたちの間で、連軸としての人気が出る。というのではなかった。まだそこまでは信用されていなかったようである。まあね、まだ重賞も勝っていないし、しょせん三勝馬だし、シビアな馬券師のお眼鏡にはかなわなかったらしい。強いヤツ、あこがれの的、息子(あるいは彼氏)にしたい馬、そういうことで出はじめた人気ではなかった。どんな相手とやっても「あともう少し」でとどまる。その「歯がゆさ」を愛する競馬ファンが少なくなかったのである。 — 高橋2002、53頁。 熊沢はコンビを組んでいた期間のなかで、サイレンススズカに敗れた1998年宝塚記念を「一番悔しかったレース」、スペシャルウィークに敗れた1999年天皇賞(秋)を「一番ステイゴールドの強さを感じたレース」として挙げている。宝塚記念では、サイレンススズカに並び掛けたところで、同馬が最後のひと伸びを見せて3/4馬身及ばなかった。一方の天皇賞(秋)では、ハイペースの中での後方待機策が功を奏して直線で先頭に立ったが、さらに後方に控えていたスペシャルウィークにゴール寸前でクビ差交わされた。熊沢は前者について「ステイは完璧なレースをしていると思う。相手が強かったです」、後者について「レース中、何秒かは勝ったと思えた。結果的には負けたけれど、このレースが僕の中では馬の持ち味を引き出せた一番いいレースだと思ってます」と回顧している。
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