惜別の譜
惜別の譜
惜別の譜 (1945、讃井智恵子作曲/鬼頭恭一編曲) (16小節/1分15秒)
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昭和20年4月、恭一は築城で奇跡的な再会を果たす。その人物は東京音楽学校選科時代の同期生・讃井智恵子であった。彼女は同科を1年ほどでやめ故郷・門司へ帰郷、その後築城に疎開し航空隊で事務生として働いていた。讃井の疎開先にピアノがあると聞いた恭一はその後日曜日ごとに訪れ、一日中ピアノを弾くようになった。恭一の情熱に刺激を受けた讃井は、自らも作曲を試みるようになった。「惜別の譜」は讃井が作曲した旋律を恭一が四部合唱に編曲したもので、自筆譜には5月17日と記されている。鎮魂歌と同様な16小節のコラ−ル風作品である。なお作品完成直後、恭一は特攻訓練のため山形への転勤を命じられ、この「惜別の譜」が彼の最後の作品となった。
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