鬼頭さんをしのぶ会と「雨」の録音
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「鬼頭恭一」の記事における「鬼頭さんをしのぶ会と「雨」の録音」の解説
昭和50年(1975年)、讃井智恵子が自衛隊の機関誌に書いた恭一の追悼文が愛知一中時代の同窓生の目にふれ、遺族と連絡が取れ、恭一のその後を捜していた團伊玖磨とも繋がった。名古屋で「鬼頭さんをしのぶ会」開催が決まり、同年9月10日、朝日新聞名古屋版に「惜別の譜」自筆譜写真と共に「響け 陣中遺作の曲」と題した記事が掲載された。9月23日、愛知一中時代の同期生や築城時代の海軍同期生ら25人が集い、讃井のエレクトーンで「惜別の譜」が演奏された。また恭一の妹・佐藤明子と知人・三宅悦子により前日に録音された「雨」のテープが会場に流された。20年後、恭一の弟・哲夫により「兄・鬼頭恭一」という講演が行われ、再び「雨」の録音が流された。
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