惜しまれる死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 23:35 UTC 版)
余りにも突然の玉の海の死に角界には衝撃が走り、周囲の人々は狼狽し、ショックを隠し切れなかった。最大のライバルかつ親友だった北の富士は、巡業先の岐阜県羽島市で「玉の海関が亡くなりましたよ」との一報を聞いた時、最初は「解説の玉ノ海梅吉さんが亡くなったのか?」と思い、確認を取らせた。関係者が「現役横綱の玉の海関です」と伝えても北の富士は全く信じようとせず、「ふざけるのもいい加減にしろ!」と激怒したという。しかしその後、亡くなった人物が間違いなく親友の横綱・玉の海本人であるという事実が判った時、北の富士は「むごい……。島ちゃんがあまりにも可哀想だ……」と、その場で人目もはばからず号泣した。 逝去当時、玉の海の死に顔を見た人々は、口を揃えて「無念の形相だった」と語っていた。広い肩幅が最大の武器で相手に上手を与えなかった玉の海の納棺された姿を見ていた付け人の一人は「横綱、窮屈そうだな……」と言い、その場にいた人々は涙が止まらなかったという。 没後に日本政府より勲四等瑞宝章が追贈された。 2021年10月1日までに玉の海の横綱推挙状が愛知県豊川市で見つかったことが分かった。日本相撲協会が贈った推挙状は玉の海が蒲郡中で柔道部所属時に顧問を務めていた河原照夫教諭の長男の自宅に保管されていた。 11日、玉の海の没後50年法要が墓所のある愛知県蒲郡市の天桂院にて行われた。発起人となった母校・蒲郡中の同級生ら25人をはじめ、同市の鈴木寿明市長ら約50人が訪れた。 北の富士は、玉の海の没後50年を迎えた際の電話取材で、当時の友人のまさかの死について「死ぬなんて思っていなかった」「驚いたというより、肉親が亡くなった時よりも泣いたな。人が死んで、あれだけ涙が出たのは生まれて初めてだった」と述懐した。
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