天桂院
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天桂院(てんけいいん、永禄12年(1569年) - 天正18年10月17日(1590年11月14日))は戦国時代の女性。徳川家康の異父妹。名は於きんの方、留、高瀬君とも [1]。
概要
久松俊勝の娘で母は於大の方。天正9年(1581年)、竹谷松平家6代当主・松平家清に嫁ぎ松平忠清を産んだ。初め竹谷城(蒲郡市)に住んだが、天正18年(1590年)より家康から竹谷松平家に与えられた武蔵八幡山に住んだ [2]。
天正18年(1590年)10月17日にお産のため死去。墓所は福巌寺(小田原市)[3]の他蒲郡市天桂院にも墓碑がある。
参考文献
- 『大日本地誌大系新編相模国風土記稿 2. 第37巻』(雄山閣、1932年、191p)
- 『駿国雑志24之上』(吉見書店、1910年、26p)
脚注
天桂院
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寛永年間、祥雲寺二世黙翁宗淵が隠居し祥雲寺境内に設けた春霄庵が起源とされるが。しかしながら、『続江戸砂子』『改正新編江戸志』では祥雲寺末寺として天桂院と春霄院が別個に挙げられており、その後天桂院が春霄院を併せたとも考えられるが、不明である。維新前後に廃された。
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