ジャン=エメ・ド・シャヴィニー名義
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『アントワーヌ・フィアンセ氏の極めて惜しまれる死に寄せる、ボーヌのジャン=エメ・ド・シャヴィニーの涙と悲嘆 Les larmes et souspirs de Jean Aimé de Chavigny Beaunois, sur le trespas tres-regretté de M. Antoine Fiancé Bizontin 』(パリ、1582年) 『ミシェル・ド・ノートルダム師の散文体の予兆集成 Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame』(手稿、1589年)これは公刊されたものではないが、シャヴィニーが集めることができたノストラダムスの「暦書」類の内容を年代順にまとめ上げたものである。長らく所在不明であったが、1990年にディジョンの一市民が私蔵していたことが判明し、リヨン市立図書館が買い取った。 『フランスのヤヌスの第一の顔 La Premiere Face de Janus François』(リヨン、1594年)ガリカデジタル図書館(フランス国立図書館)で公開されている。ノストラダムスの『百詩篇集』『予兆集』を、1534年から1589年までの事件に当てはめる形で解釈したもの。ノストラダムス予言に対する最初の(信奉者の側の)体系的注釈といえるが、現代の一般的な注釈と異なり未来予測に重点を置くものではない。この本の冒頭にはノストラダムスの伝記が添えられている。その中には不正確な記述も散見されるが、後代のノストラダムス像の形成に大きな影響を及ぼした。ヤヌス(双面神)のタイトルどおり「第二の顔」を出す予定もあったようだが、結局刊行されることはなかった。 以下の2つは『フランスのヤヌスの第一の顔』の一部を抜粋した再編集版である。 『非常に傑出し、かつ勇敢なる君主ナヴァル王アンリ・ド・ブルボンがフランス王位に御即位なさったことの予言 Prognostication de l’advenement à la couronne de France de tres illustre & tres genereux Prince Henry de Bourbon Roy de Navarre…』(パリ、1595年) 『故ミシェル・ド・ノストラダムス師の百詩篇集と占筮に関するボーヌのド・シャヴィニー殿の注釈 Commentaires du Sr. de Chavigny Beaunois sur les Centuries et Prognostications de feu M. Michel de Nostradamus 』(パリ、1596年) 『ボーヌのド・シャヴィニー殿の七星集 Les Pleiades du Sieur de Chavigny, Beaunois』(リヨン、1603年)七部構成になっている。タイトルはそれをプレアデス星団になぞらえたもの。1606年に増補版が刊行された。1607年までに他に2回版を重ねた(1607年版はガリカデジタル図書館(フランス国立図書館)で公開されている)。なお、第1部・第2部の原型と位置づけられている手稿が現存している。 『トルコに関する教訓的言説 Discours parenetique sur les choses turques』(リヨン、1606年)同じ年に『七星集』の増補版にも組み込まれた。ガリカデジタル図書館(フランス国立図書館)で公開されている。
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