惟喬親王伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 10:12 UTC 版)
惟喬親王が山上に高楼(桟敷)を構えて都を眺望したという伝説が山名の由来であるとされ、山麓の雲ケ畑岩屋橋には惟喬神社がある。『山城名跡巡行志』では、山上にある池が指月や広沢池などとともに月の名所とされたが、現在は池跡が定かではない。この地域には惟喬親王に関する伝承が多く残っており、平家物語や歌舞伎などによれば惟喬親王は惟仁親王(後の清和天皇)と皇位を争って桟敷ヶ岳で相撲を行なったとされている。惟喬親王の逸話が山名の由来であるとするのが定説だが、京都府の地名語源について詳しい沢潔は、「棧敷」とは「サシキ」であり焼畑地を表すのではないかとしている。頂上付近には笹藪が生い茂っているが、「都笹」と呼ばれるこの付近の笹は惟喬親王が杖を逆さに立てたものが根付いたとする伝承がある。
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