寶姓の謂れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/11 09:30 UTC 版)
平安時代、第55代文徳天皇(在位850年 - 858年)の第一皇子惟喬親王(844 - 897)が、当時の権力闘争により立太子できず、近江の方に隠棲していた時に、霊仙山中の一村落であった榑ヶ畑(滋賀県米原市)に滞在したことがあり、その時に先祖が親王の宝庫番を務めたことから「寶」姓を名乗ることになったという。なお、榑ヶ畑(くれがはた)はすでに廃村となっている。 ^ 菅沼晃次郎:近江湖東の木地師(屋)の伝承地と信仰、近江山辺の道--湖東山辺の道・比叡山と回峰の道、淡海文化を育てる会(編)、サンライズ出版、2001年2月、pp. 142-144。この p. 144に記述あり。 ^ 中島伸男:惟喬親王伝説を旅する、サンライズ出版、2020年12月、pp. 144-153。このp. 146 に記述あり。
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