思想の変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 00:50 UTC 版)
他国より大型の戦艦に巨大な主砲を搭載するという、文字どおりの大艦巨砲主義は1936年のワシントン海軍軍縮条約明け後には終焉を迎え、前代と同程度、あるいはやや小型化した主砲の採用例が多くなった。 第一次世界大戦中の1916年に生起したユトランド沖海戦において、イギリスとドイツが弩級戦艦・超弩級戦艦を含む艦隊で衝突し、長距離砲撃戦の重要性が再認識されたことで各国の大艦巨砲主義は一層強まり、速力と防御力の向上を追求したポスト・ジュットランド艦(高速戦艦)が建造されたが、必然的に排水量も増えてしまい主砲口径の増大を諦めざるを得なかった為である。 この反省から、速力・防御力のバランスが戦艦の設計で重要視されるようになった。これまでの戦艦は速度を、巡洋戦艦は防御力を妥協して排水量を抑えていたが、そのような設計の問題点が明らかになった。 そして、航空機の発達により第二次世界大戦中に航空機の優位が確立、航空主兵論の台頭が戦艦時代の終わりを告げることとなった。 アメリカで計画されていた、大和型戦艦(72,800t 45口径46cm 9門)と同等のモンタナ級戦艦(71,922t 50口径16インチ砲 12門)全5隻が1943年に建造中止されたことをもって戦艦は終焉を迎えた。 その後竣工したアイオワ級戦艦やヴァンガードやジャン・バールなどはそれ以前に起工したものであり、以後戦艦の新造は行われていない。
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