徽音殿の井戸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 02:31 UTC 版)
(きおんでんのいど) 時代:南北朝・宋 あらすじ 皇宮の奥にある徽音殿。かつて袁皇后の住まいであった場所だが、皇后が怨みを抱きながら亡くなって以来、閉鎖されているこの徽音殿で、皇后の幽霊が出ると専らの噂だ。 皇后の死から10年。皇后の息子である皇太子の劉劭(りゅうしょう)は父帝・文帝を弑殺しようと計画を練っていた。母の復讐という訳ではなく、皇太子という地位に飽いたから、という理由であった。 宋の三代皇帝・文帝は内政に力を注ぎ、世は安定していった(元嘉の治)。しかし、即位から27年、文帝は軍事行動を積極的に取り始める。北方の魏軍を侵攻しようと言うのだ。ほとんどの臣下が北伐に反対する中、重臣の一人・江湛(こうたん)が北伐を支持する。皇太子は心の底で、父の失敗を期待し、やがてその願いどおりに惨めな結果に終わった。 失敗の責任を負わせ江湛を斬るべきと皇太子は主張するが、文帝は責任は自分にあるとしてこれを固辞する。それから約2年、皇太子と江湛の対立はより深さを増していた。将来を憂慮する文帝を外に、江湛は副宰相の徐湛之(じょたんし)を巻き込み、皇太子の廃立を企んでいた。目標を同じくする2人は、皇太子の姉・東陽公主が巫蠱(ふこ)の術師・厳道育(げんどういく)を匿っていた事実を利用し、皇太子廃位を文帝に進言する。しかし、廃位の詔が下るより早く、皇太子が謀反を決行する。果たして、皇太子の未来は……。 関連項目 宋書(二凶伝)
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