徳川秀忠方
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/05 03:43 UTC 版)
「SAKON(左近) -戦国風雲録-」の記事における「徳川秀忠方」の解説
徳川秀忠(とくがわ ひでただ) 家康の三男。家康が死んだことを知り、柳生や羅刹を使い島左近、世良田次郎三郎、豊臣秀頼を殺し、日本を我が手にしようと動き出す。初登場時、御簾の裏で大勢の裸の女性を侍らせていた。 柳生宗矩(やぎゅう むねのり) 柳生家の総帥。柳生の名を上げるため徳川秀忠に接近し、左近の首を取ることを目論む。最初、石田三成処刑場で配下の軍勢で左近を待ち伏せしていたが、失敗。その後、関ヶ原で左近と世良田次郎三郎との邂逅に柳生裏忍びを差し向けるが、左近の力、次郎三郎の家康並の威光により戦意を喪失、撤退に追い込まれる。 彼は普段自らが戦うことはないが、関ヶ原で左近と対峙したとき左近と互角に渡り合い、その実力を披露した。 柳生八虎(やぎゅう はちとら) 柳生宗矩配下。地割包丁と呼ばれる巨剣を持ち、顔の左に傷跡がある大男。石田三成処刑場に現れる島左近を討つため、宗矩ら柳生の軍勢と共に待ち伏せしていた。宗矩、六郎の発言や柳生新陰流・無形の位を会得していることなど踏まえて実力はかなりのものと推測される。しかし、左近に地割包丁ごと体を真っ二つにされ返り討ちに遭う。 柳生七郎左衛門(やぎゅう しちろうざえもん) 柳生石舟斎の弟。松吟庵と号する。柳生新陰流やそれを創り出した兄を軽蔑しており、自身の力を示すことでのし上がろうとする。左近たちを葬るため幻霧斎、紅の2人の羅刹に敵を操る術を伝授した。この2人と共に風魔の忍びを操り里に侵入したがその所業、言動に怒った左近の白雷の一撃に六郎の不動雷電を乗せた攻撃が炸裂し(防御壁を張るが破られ)、真っ二つにされる。 三左衛門(さんざえもん) 駿府で左近や次郎三郎を襲撃してきた柳生の一人。柳生の剣は暗殺などをするものではないと現れた兵庫助に「無形の位」で斬られる。その際、かつての楽しかった稽古をしていた頃を思い出し、それを懐かしんでいた。
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