御嶽やグスクにある鳥居
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/19 07:33 UTC 版)
「御嶽 (沖縄)」の記事における「御嶽やグスクにある鳥居」の解説
御嶽やグスクの入口に鳥居が設置されているものが、現代も沖縄県内に多く残っている。近世琉球までの御嶽にはそもそも無かったものと考えられている(ただし、察度王の代に神仏習合の形で神道の神々を勧請した波上宮などは当初から鳥居を供える)。 これは、明治維新から琉球処分以降の@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}「皇民化政策」による神道施設化の結果[要出典]であると説明される場合がある。例えば今帰仁城には1930年(昭和5年)に鳥居が設置されたが、2003年(平成15年)に撤去されている。 しかし、本島北部の名護城や、伊平屋島の田名神社、伊江島の阿良御嶽など、鳥居が残っているものもある。また、先島諸島(宮古・八重山)では、特に撤去しようとする動きもなく、そのままになっているのがほとんどと言われる。 日本本土で現存する最古の鳥居は、平安時代のものであり歴史は古いが、鳥居が必ずしも本土神道式の神社を象徴するものとは限らない。そもそも奄美・琉球(沖縄)における神社は、世持神社のように1936年(昭和11年)ながらも沖縄県有志総出で琉球偉人を祀る神社(郷社)建立に走った例もある。徳之島における「神社」のように、鳥居が立っていて「神社」と呼ばれていても必ずしも本土のような手水舎、神殿や拝殿がある訳でもなく、ただ沖縄の御嶽のように小屋や祠、はたまた石だけが置かれているものも多く、奄美古来のグスク(あるいはモリ、ハラ)、古の風葬墓跡や拝所などが判然とせず、聖地と見なされている状況である。
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